教育問題:日本で教員を辞めたワケ

教育に関する与太話

こんにちはCantomです!

今回は趣向を変えて日本の教育現場(私学)について少しだけ話したいと思います。カナダには英語教師のスキルアップを目的にやってくる学生もいるので、必ずしも留学ネタと無関係ではないかと思いまして。これから先生になる人が傷つかないことを願って、一本の記事として上げようと思った次第です。

注意
ちょっと鬱展開なお話となっておりますので、教員志望の方以外は読み進めないことをオススメします!(上ちゃん的なニュアンスではなく本当にね!)逆に教員志望なら読むべし!闇を知っておくことは大事ですよ!

組織の腐敗

私は教員を辞めたワケですが、その最大の理由は「他人を犠牲にする腐敗した職場だった」からです。薄っぺらいエリート意識の強い一部の教員が力を持つ私学で、自分の名前に傷がつくことを極端に嫌う傾向がありました。(素晴らしい教員もいましたが片手で数えられるくらいのものです。)

その一方で私は自分の損得勘定をしない性格で献身的なところがありました。ひょうきんな人間だとも思われていたようで平時には楽しい時間が流れていました。しかし問題が発生すると組織の腐敗の深刻さが一気に表面化しました。

学校と教員の一部は自己保身の権化であるということが分かったのです。

学校には揺らぎない柱となる教育哲学というものがあって然るべきだと私は考えています。しかし残念ながら、そんなものはありませんでした

普段はそれらしい正義を語り、都合が悪くなると手の平を簡単に翻す卑しさを私は目撃してしまいます。

つまり自己保身のために正義を曲げ、簡単に他者を犠牲にできてしまう教育者・教育機関としてはあるまじき腐敗しきった精神性が露になったわけです。(ここで言う正義は組織が定義する正義であって、普遍的な正義とは何であるかの話ではないです。念のため。)

子供だったら「大人ってマジで汚ねぇな!!ペッ!」となるパターンですねw

Cantom

そして夜中にバイクで首都高速に怒りの爆走へ繰り出した訳だぜ!
体験談

少しだけぼかして実体験を書きます。これはモンスターペアレントに関するケースです。私の担任するクラスには、Zという粗暴な生徒がいました。Zは繰り返し暴力事件を起こしていました。そこで学年の教員団は会議を行い、この生徒とは保護者、学年主任、担任を含めた4者面談を実施する必要があると教員団は合意・結論付けました。

担任であった私は学年の意思決定に基づいてZの保護者に電話をかけます。すると保護者は逆上しトンデモ理論を展開します。「被害生徒との間で話はついているから、学校に介入される筋合いはない」「担任の使った粗暴な振る舞いという言葉が気に食わない」生徒指導という名の元にパワハラをするなといった所ですね。全てが実にレベルの低い論点のすり替えなのですが、逆上した保護者を鎮めるために私は全責任を負わされることになりました。繰り返しますが、この対応は学年の教員団が合意し行われたものです。

私はこの一件が決定打となり辞職を決意します。そして自分の求める未来を最優先してカナダに向かうことになります。

私の反省

組織人である以上は組織に迷惑をかけてはならないという過剰な献身性(社畜精神ともいう)がありましたね(笑)。自分の正当性と保身を考えるべきでした。学年団の意思決定を、私は担任として遂行していただけなワケです。論理の通じないモンスターペアレントは別としても、学年団を論破するのは容易すぎる材料が揃っていました。自己保身と言っても根本的にインセンティブが異なりました。

共有と改革

この様な組織的な問題に対して結束できる教員と力を合わせるべきだったかもしれません。私は「組織に対する失望」と「カナダに行く決意」が強く、クラスアクションは起こしませんでしたが問題提議としてやっておくべきでした。組織の腐敗の犠牲者は概して若い世代になるからです。そして組織の腐敗が原因で私が辞職したことが明るみになれば、改革のきっかけとなる可能性がごく僅かですが生まれたかもしれません。

教員志望の人達へ

私の経験はある私学のものです。この様な事象が他の私学にもあるのか、公立の雰囲気がどうなのかは私にはわかりません。

言葉は悪いですが教員は変人の割合が高めです。閉鎖的な社会であることも災いして、負の組織文化が定着しやすい環境だと思います。(昨今の狂気じみた教員による事件を鑑みるに、認識が大きくズレているとは思いません。)

もちろんキャリアにおいて教諭になることは高い重要性を持ちます。ですが、もし赴任先の学校がブレない行動原理を持たず、人も大切にできない組織であったならば、あまり長居をしないことを勧めます。腐敗を受け入れると、あなたまで腐ってしまいますよ。(私が以前の職場の組織判断を理解できそうな観点は、教職をビジネスとして考える場合だけですかね。ですがトップの判断に限定されます。現場レベルで他人を売るのは腐敗ですねw)

日本で教員をすることは大変な苦労と苦痛を伴います。この記事で書かせてもらった組織的な問題に加え、英語教育に対する要求の難化、社会の厳しい目もあります。教職はやりがいのある社会的意義の大きな仕事ですが、教職に縛られない多様なスキルを身に付けていくことが、これからの時代では大事かもしれないですね。

ダークな事を書いておいてなんですが、私は今でも教員の仕事は大好きですよ。自分の心身を守るために選ばないようにしていますが。なにより教員としての目標が学校で働かなければできないという時代でもないですからね。

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